(1) 2004年01月10日〜01月17日 こだわりのスペイン8日間
(2) 2004年07月24日〜08月02日 選べるアンダルシア10日間
(3) 2006年01月11日〜02月05日 選べるアンダルシア26日間
(4) 2006年11月20日〜12月02日 スペイン・ポルトガル13日間
(5) 2007年03月31日〜06月29日 今回のセビリア長期滞在
[注記]旅行代理店は全て阪急交通社。(3)は殆どの宿泊先と乗り物の手配は自分達で行いました。 (5)は航空機の手配以外は全て自分達で設定しました。
(A) イタリアの歴史・文化・人生感を知る2001年に当時勤めていた会社から永年勤続者褒章として長期休暇と旅行代金の一部をいただくことになり、どこに行こうかと二人で相談した結果、妻の希望で初夏のイタリアに行くことに決めました。
私にとってそれまでのイタリアに対する印象は、先進7カ国首脳会議(G7)のメンバーにはなっているものの経済的にはパッとしない国、引ったくりなどの軽犯罪が多く治安が悪く、「イタ公」と蔑称されるように「セッチコイ」人間が多いなどあまり良いものはありませんでした。
その年は、日本では「日本におけるイタリア2001年」としていろいろな催し物が開催されていて、そのような催し物に行き、少しづつイタリアという国を知るにつれ興味を抱くようになり、歴史と簡単なイタリア語会話を出発前に勉強しました。

東京駅前で開催されたイタリア祭のオープニング・セレモニー
そして実際にイタリアを訪れ、偉大な歴史と文化に触れて感銘するとともに、ヘタなイタリア語でも彼らに一生懸命話しかけると彼らが非常に喜んでくれ歓迎してくれたこともいい思い出になりました。またラテン的考え方なのか、経済的に豊になるということよりも「人生を楽しむ」生き方を大切にしているということも知りました。

ローマの「真実の口」
(B) わがままな米国に対する失望私は学生時代から英会話に興味が有り、会社に入社して直ぐに夜間の英会話スクールに数年通い、その後も地区の英会話サークルに長年参加するなど英会話と文化に親しんで来ました。仕事で米国に出張した時も本当に役立ち、英会話サークルの教師である米兵や宣教師さん達とも付き合いがありました。

昭島市の英会話サークルの皆さん(左端が当時の私です)
そんな中、その年の9月11日に「米国同時多発テロ事件」
[LINK]が起こりました。 たまたまその晩は偶然夜遅くまで起きていて、事件の実況をテレビで見ることになりました。 刻一刻と悲惨な事件の状況を知るにつれ、『何故、アメリカ人はあんなにも憎まれる国になったんだろう』と思うようになりました。
特にブッシュ大統領が後日あの攻撃は「パールハーバー」のように卑劣な攻撃だとか、一部の米国のマスコミが「カミカゼ攻撃」のようだと論評するに至っては、「なんて自分勝手な国なんだ!!」という憤りを感じました。 その後米国は急激に保守化し、対テロ報復としてアフガニスタンを攻撃し、イラク戦争へと突き進んで行きました。
(C) スペイン語を勉強しようと思ったワケ3千名近くの尊い命を奪った同時テロはあってはならない事ですが、その報復のために何万人のアフガンやイラクの人々が殺され、また故郷を追われなければならないのでしょうか? 私は米国や英国のアングロサクソン族が中心になった世界観に疑問を抱くようになりました。
[LINK]英会話はなんとかなるので、その他の言葉を勉強して今までとは異なる視点で世界を知ろうと思いました。 人口比や経済的な面を考慮すると中国語が相応しいのかも知れませんが、現在の共産党支配の中国には興味がまったくないので、スペイン語を勉強することに決めました。 ご存知のように、スペイン語はスペイン以外にも、アフリカの一部、ブラジルを除いた中南米、アメリカの一部で話されているなど、英語、中国語に次ぎ、世界で3番目に話されている言語です。
[LINK]多くの国々でスペイン語が話されている中から、スペインに行くことを決めたのは、第一にスペイン語の本家本元であり、第二に治安上の理由、そして第三にキリスト教国によるスペインイベリア半島の「再征服運動」(Reconquista)
[LINK]が完了するまでのある期間、キリスト教徒、ユダヤ教徒とイスラム教徒とが共存した「寛容」の時代がスペインに在ったことを確認したかったからです。
私は「形から入る」のが好きな人間なので、まずスペインに関する書籍を読み、スペインと言えばフラメンコと思い、自分自身はまったくフラメンコを知らないのに、大胆にも「東京フラメンコ倶楽部」という団体が毎月開催している集まりに何回か参加させていただきその雰囲気を感じ取りました。
[LINK] その他、都内のスペインレストラン、タブラオそしてBARなども巡りました。

東京フラメンコ倶楽部の集まりでの一コマ
スペイン語会話はスペイン出発の半年前からNHKのテレビとラジオのスペイン語会話を独学しました。しかし英語と異なり、動詞の不規則活用、男性名詞・女性名詞の区別そして会話の早さに慣れるのには厳しいものがありました。

NHKテレビスペイン語会話教材
(D) スペインへの訪問初めてスペインを訪れたのは2004年の1月でした。8日間で主要な観光名所を巡るという、日程的に大変厳しい団体旅行でした。更に冬なので朝は9時近くまで暗く、日没も6時ごろと明るい時間が少ない旅行でした。しかし、スペインを直接知りたいとの思いから、その日の団体旅行が終わってホテルで夕食を済ませてから「自由行動」を可能な限り取るよう努めました。

マドリッドの夜の王宮(4人でホテルを抜け出しました)

セビリアの夜のカテドラル付近を二人で探索
特にセビリアの夜の探索の場合はホテルから約1.5キロも離れているカテドラルまで見知らぬ道をテクテク二人で歩いて行った勇気というか無謀というか、その行動に今でも感慨深いものがあります。 下の写真はその晩にホテルの案内嬢からもらった市街地図の一部です。(黄色の部分は後で追記したもの)

セビリア市街地図
その時にカテドラルの近くで入ったBARは今でも懐かしい思い出となっています。
初めてのスペイン旅行でスペインが好きになりました。 スペイン語は独学での習得は無理と考え、日本人と結婚されて市内に在住しているペルーの奥様に週一回妻と一緒に授業を受けることにしました。 その後もう一人男性が教室に加わり、4人でクラス以外でのお付き合いも含め、学習を続けています。

スペイン語教室
そしてその年、矢張りスペインは夏に行くべきだと思い団体でなく二人だけでスペインに再び訪れました。 恐ろしく暑い夏のアンダルシア地方
[LINK]を旅し、いろいろなスペイン人の方々と知り合うことになりました。 そしてこの国に長期滞在したいと思う気持ちが強くなりました。
2004年の2月に長い間療養中の私の母が心臓麻痺で亡くなり、2005年6月に私が早期退職し、その年の12月には末の子供も社会人となって家を出ることとなり、長期滞在の思いを実現しようと2006年の1月に約1ヶ月間、長期滞在に相応しい場所を求めてアンダルシア地方を巡りました。
私達はまだ年金をもらっていないので、スペインでは3ヶ月を超える滞在許可(ビザ)はもらえません。ですからアパートを3ヶ月間という短い期間だけ借りるのは大変難しく、ホスタルかピソを借りるしかないのかと半ば諦めていた時に偶然セビリアでスペイン人と結婚されたAさんにお逢いし、彼女によって今回のアパートの仲介をしてくださった田中さんを紹介して戴きました。

セビリア在住のAさんとお子さんたち
こうして、いろいろな偶然が重なり、運にも恵まれ私達の3ヶ月間のセビリア長期滞在が実現することとなった訳です。